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特別対談:日本バドミントン協会 村井満会長 × 東京貿易グループ 坪内秀介社長 ―【前編】挑戦と理念が導くリーダーシップ

経営とスポーツ――一見、まったく別の世界に見える二つのフィールド。
けれども、困難に立ち向かい、組織を導くリーダーの姿には、不思議なほどの共通点があります。
今回は、日本バドミントン協会・村井満会長と、東京貿易グループ・坪内秀介社長の特別対談。東京貿易グループが日本バドミントン協会の賛助会員となったご縁から実現しました。


異なる舞台で挑戦を重ねてきた二人が語るのは、「未知への挑戦」と「緊張する方を選ぶ勇気」です。
盛り上がりを見せた対談は前後編でお届け。本編の前編では、二人のキャリアの転機とリーダーシップの原点に迫ります。

  • PROFILE

    村井 満さん

    公益財団法人 日本バドミントン協会 会長
    1959年生まれ。1983年、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社し営業部に配属。2000年同社執行役員(人事担当)、2004年リクルートエイブリック(現リクルート)代表取締役社長。2011年RGF Hong Kong Limited取締役社長。2014年Jリーグチェアマン。2023年6月より現職。

  • PROFILE

    坪内 秀介

    東京貿易ホールディングス株式会社 代表取締役 社長執行役員
    1961年生まれ。1984年東京貿易株式会社入社、国内機械部に配属。2006年同社取締役エネルギー機会事業部長。2019年東京貿易エンジニアリング(現TBグローバルテクノロジーズ株式会社)株式会社代表取締役社長。2022年6月より現職。

テーマ1:キャリアの転機 ― リーダーを形づくった瞬間

――まずは、お二人にとって「キャリアの転機」となった出来事をお聞かせください。リーダーとしての姿勢に大きな影響を与えた瞬間は、どのようなものでしたか。

村井会長紆余曲折の人生なので、ターニングポイントは数多くあります。その中でも大きかったのは、50歳を目前にして初めて海外に飛び出した経験です。当時携わっていた人材採用の領域は、リーマンショックや東日本大震災の影響で国内市場が急速に縮小し、非常に厳しい状況にありました。

 

そこで私は“日本企業はもっとグローバル化すべきだ”と考え、香港に単身で赴任。現地法人を立ち上げることになりました。そこからグレーターチャイナやインド、ASEANなど、合わせて26都市にオフィスを展開していったのです。英語もできず、海外経験もない。文化も国も違う場所で法人を次々と立ち上げるのは、苦難と挑戦の連続。まさに冒険そのものでした。

坪内社長:未知の環境に飛び込む怖さは、相当なものだったのではないですか?

村井会長ええ、最初は本当に怖かったです。ただ、この経験がなければ、後にJリーグやバドミントン協会といった未知の領域に飛び込む勇気は持てなかったと思います。

坪内社長:私の場合の転機は、尊敬していた上司の急逝です。それまでは、その方のもと様々な仕事に取り組んでいて、まるで大きな手のひらの上で自由に動き回る孫悟空のようでした。けれども突然その存在を失い、部門を自分が率いなければならなくなったのです。

 

ある時、取引先で思わず涙ながらに「どうすればよいでしょうか」と尋ねました。すると、「彼はあなたを本当に可愛がっていた。だからこそ、あなたに期待していたんだ。次はあなたの番だよ」と声をかけていただいた。その一言で覚悟が決まりました。守られる立場から、責任を背負う立場へ。自分自身で乗り越えていくしかないと腹をくくった瞬間でした。あの出来事が、私のリーダーシップの原点になっています。

村井会長:大きな試練こそ、人を次のステージへ押し出しますね。

テーマ2:“緊張する方を選ぶ”リーダーシップ

――キャリアの転機を経て、お二人に共通しているのは「困難に直面したとき、あえて逃げずに挑戦を選ぶ」という姿勢です。リーダーとしての判断軸をどのように身につけられたのでしょうか。

村井会長私の場合は、次から次へと困難が訪れる環境に置かれてきたことが大きいです。入社してすぐにリクルート事件が起き、本業の紙媒体はインターネットの台頭で衰退。さらに大きな負債を抱えるなど、厳しい状況が続きました。

 

そしてJリーグやバドミントン協会という未経験の世界に飛び込むのですが、やることなすこと全く初めてで、次から次へと難題が襲いかかってきました。最初は逃げたくなる場面ばかりでしたが、“逃げずに踏みとどまる”ことで大きな成長を実感できたのです。やがて『緊張する場面の裏には大きなチャンスがある』と気づき、緊張感をむしろポジティブに受け止められるようになりました。

坪内社長確かに、緊張やプレッシャーを前向きに捉えるのは簡単ではないですよね。私も社長就任の際、従来の“連邦経営”から“グループ経営”へと舵を切る決断をしました。これまで独立して事業を行っていた各社を、ホールディングスが中心となって結束させ、東京貿易グループとして大きく成長させたいと考えたのです。

 

あえて困難な道を選ぶのは、多くの反発や不安を伴います。しかし、全ての基準は、『やらなければならないことをやる』ということ。覚悟を決めたとき、不思議と自分自身も成長できるのだと思います。

村井会長:まさに“変化を恐れない”ということですね。楽な道もあったはずなのに、あえて挑戦を選ばれたのは印象的です。

坪内社長ありがとうございます。ただ、特別なことをしたというより、自分の中で「会社や社員のために必要だ」と感じたから選んだまでです。

社長になったときに一番に思ったのは、“社員が生き生きと働ける会社にしたい”ということ。そしてその上で、社会により大きな価値を提供できる会社にしたいと考えました。そのための選択です。

 

結局、リーダーというのは自分の意思で困難を引き受ける存在なのだと思います。

テーマ3:1兆円ビジョンと変革

――坪内社長は「連邦経営からグループ経営へ」という大きな転換を進める中で、1兆円という大胆なビジョンを掲げていらっしゃいます。その背景には、どのような思いがあるのでしょうか。

坪内社長私が社長に就任した時、東京貿易グループの売上は350億円ほどでした。社員がいきいきと働き、社会に価値を提供していると言えるには、まだまだ規模が小さいと感じたのです。

 

そこで“どうせ目指すなら大きく”と考え、創立100周年を迎える2047年に連結売上高1兆円を達成するという目標を掲げました。もちろん、単に数字を追いかけるわけではありません。同じやり方を続けていては実現できない。会社の仕組みや構造を根本から変えていく必要があります。その土台をつくることこそが、私の使命だと思っています。

村井会長:350億から1兆円へ――まさに桁違いの挑戦ですね。社員の皆さんも、最初は驚かれたのではないでしょうか?

坪内社長ええ、最初は「本当にそんなことができるのか」という戸惑いが大きかったと思います。でも、私が繰り返し語り続けることで、少しずつ社員の中にも“その気”が芽生えてきました。

ビジョンというのは、一度伝えただけでは根付かない。何度でも愚直に語り続け、共に歩んでいくことが大切だと思います。

村井会長よくわかります。私もJリーグの時代から、『豊かなスポーツ文化の振興と国民の心身の健全な発達への寄与』という理念を判断基準にしてきました。施策には必ず賛否がありますが、上位概念として理念を掲げ、それに立ち返ることで答えを出すことができる。

リーダーが繰り返し理念を語り続けることで、人が動き、やがて現実が動いていく。そこにリーダーシップの本質があるのだと思います。

 

坪内社長:理念を掲げ続けることの大切さは、私も強く感じています。社員や社会にどう価値を届けるのか。そのためには、会社の仕組みや在り方そのものを見直すことも避けられません。

村井会長:まさにそうですね。理念を語るだけでなく、どう現場に根付かせ、組織を動かしていくのか。そこがリーダーに問われる部分だと思います。

 

――キャリアの転機を経て、困難に直面してもあえて挑戦を選ぶ――。
その姿勢は、二人に共通するリーダーとしての原点であり、大きなビジョンを掲げて変革を推し進める力となっていました。

 

リーダーとしての覚悟と哲学を語り合った前編に続き、後編では視点をさらに広げます。
「組織をどう変革し、理念をどう浸透させ、未来をどう描くか」――。
二人の言葉は、組織と社会を動かすための具体的なヒントへと深まっていきます。

 

【後編】>挑戦と理念が導くリーダーシップ

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